テニサーと私

 はてなブログを開設した。僕はニコニコ動画に投稿をしていることもあり読者もニコ厨の人が多いと思うので、早速テニスサークルの悪口から始めたいと思う。

 

 テニスサークルを語る上では勿論、僕自身の大学時代を避けては通れないだろう。僕は元々人見知りコミュ障気質の傾向はあったが、スポーツができたため少年のころはそれが障害とはならずに過ごし、高校辺りから「うわっ・・・・私のコミュニケーション能力、低すぎ・・・?!」と疑い出したものの、「でもそんな自分とも今日でサヨナラ、誰も僕を知らない新たな場所でキャンパスライフをハッスルしていこう」という希望を胸に大学へ入学したのである。

 

 校門をくぐれば、いくつものテニスサークルのチラシを僕は受け取った。しかしそこは「飲食店で『すいませーん』と店員さんを呼ぶくらいなら注文を諦める」という僕である、持ち前の消極性をいかんなく発揮し、サークルの説明などにはチラチラ視線を送りながら何度も行き来するだけで声をかけることは叶わなかった。

 そしてゼミや語学の教室では、席が近い人間と最初の授業で話をすることもあり、これは友達ックな関係を築けてしまえそうだなあ、カラオケーションに行ったり、将来について語り合ったりしてしまいそうだなあ、とニヤニヤした。しかしそういった希望は次かその次の授業で決まって打ち砕かれた。そいつは別のヤツと僕より仲良くしているのだ。僕よりも「お友達」として相応しいと踏んだ方へ乗り換えるのだ。僕はキープでしかなかったのだ。あんたこいつの何なのよこの泥棒猫!と言えるほどの関係はまだ勿論築いていない僕はただフェードアウトしていくしかないのだ。

 しかも前述したように僕はここまで無駄にスポーツができたばかりに自分がコミュ障であるという自覚が遅く、いわゆるオタク趣味的なものはこの時まだ身についていなかった。そうであったなら最初からあきらめて文化的なコミュニティを探し、また違ったキャンパスライフをエンジョイしていたのではとたまに悔むことがある。

 

 ともかく僕は、入学1カ月と立たずにゲームセットとなった。誰も僕の携帯の番号を知らない。大学入学1カ月で結果を出せなかったコミュ障に、再チャレンジの機会などは訪れない、それが大学の恐ろしいところだ。(しかもそれが4年も続く)

 

 僕はインターネットを漁った。僕は情強であいつらは情弱だ。そして図書館に通い乱読した。あいつらが宮部みゆきを読むなら僕はドストエフスキーカフカやカミュを読むし日本の作家なら三島か逆に漱石を読むよね、ということでアイデンティティを保とうとした。違うんだ、僕はしたくてこうしてるんだ、違うんだ、あなたとは違うんです、あいつらとは、あいつらが、あいつらは、あいつらの、あいつらへ、あいつら。

 そのあいつらの象徴が、「テニスサークル」となった。テニスという免罪符を掲げ、男女混合の集団で飲み会ばかりをやり、合宿というエクスキューズでインモラルな夜を過ごし、テニスとは全く関係の無いスノーボードをやり、新歓だ追いコンだと性の乱れの限りを尽くす、テニスサークルなるものを憎まずにはいられなかった。しかもそれを僕と大差ない人生を歩んできた人達が行っているのだ。DQNや風早君なら違う世界のお話として無視しよう、しかしこれといった特性はないけどある程度は受験勉強はしましたという真面目系の凡人が集まっているはずのこの大学内で、何故そのようなチャラいサークルが、輪が、恋愛サーキュレーションができているのか。乱立しているのか。そしてその輪に、僕が加わることはないのだ。

 

 社会人となった今でも、テニスサークルへの憎しみはある。繁華街でDQNでもない真面目チャラい系テニスサークル的集団を見かけると、「これから行くであろう居酒屋で出される枝豆が傷んでいますように」と祈らずにはいられない。

 もうテニスサークルを憎む理由などいらないレベルに僕はいる。どうしてテニスサークルをここまで憎むのか。多分それは、太陽のせいだ。