コミュの章

 僕はコミュ障の歌い手である。

ということを意識的に言及することがあるが、これは勿論ネットスラングとしての「コミュ障」「歌い手」であり、その言葉の定義などについてマジレスされても困ってしまうというのが正直なところである。確かにこれらを自ら揶揄として使用し予防線を張ることは褒められたことではないが、しかしここはインターネットワールドでありリアル若しくはフェスブック的コミュニティではないのでこれくらいの気持ち悪さは許容されてしかるべきなのではないだろうかと考えている。甘えさせてほしい。インターネットワールドくらいは甘えさせてほしい。

 

 さて、本日はこの「コミュ障」部分について、少し自分を見つめ直してみたいと思う。自己分析である。就職活動の際に行った偽りの創作的自己分析ではなく、真の自己分析でありそして偽りでないがゆえにそれを浮き彫りにすることによる自分へのダメージは覚悟しなくてはならない。勿論このようにブログに書く必要は全くないのだが、そうでもしないと文章として残そうとは思わないので皆さんそこのところは巻き込み事故に遭ったと思って諦めてほしい。

  

 まずこのコミュ障の話しをすると「いや俺の方がコミュ障だ」という不幸自慢天下一武闘会が開催されがちだが、程度の問題ではなくこの資質により現在自分が生きにくい状況に陥っているということが当人にとっての悩みであり我々はそれぞれのコミュ障と向き合わなければならない世界に一つだけのコミュ障なのである。そういうわけで余り明確に整理してこなかった現在の僕のコミュ障をいったん文字として起こし、可能であれば対策を検討したい。

 

1.緊張する

緊張する。激しく緊張する。特にプレゼンの時など人前に立つと緊張する。会議の席で「もうすぐ自分が発言する番だ」と身構えている時に緊張する。心臓がバクバクする。手が震える。会いたくて会いたくて震える人に「こっちはもっと切実なんだよ!」と殴りかかりたくなるくらい震える。

2.物怖じする

挨拶、話しかける、自分のしたい行動をする、といった際に物怖じする。話しかけるタイミングに悩みあらゆる環境が整った状況を待つ間に時間だけが過ぎていき焦る。本屋さんで自分が買おうとする本の棚に他の客がいると物怖じして取りに行けず徘徊しその客が去るのを待つ。物怖じしない人はなんなの?アメリカ人なの?

3.社交性が無い

こちらから話しかけられないうえに、相槌的なものが苦手でノーリアクションになりがち。話す意志が無いのではなく必死で「何か話さなきゃ何か話さなきゃ何か話さくぁwせdrftgyふじこlp」と頭では考えているが言葉が出て来ずよけいに焦る。キョドる。

4.噛む

噛む。キョドる。

 

 まだまだ挙げられるが大体似たようなことの羅列になると思うのでこれくらいにしておいて、これらの原因を考えてみる。

1.技術不足

・言葉を発する身体的機能が十分に向上していない

・会話等の技術不足

 会話をキャッチボールに例えるなら、肩が弱過ぎてボールが30cmしか飛ばない。グラブに収まったボールをどうしていいか分からずそっとズボンのポケットに入れてしまう。(僕のズボンのポケットはボールで溢れており、家に帰って涙を流しながらそのボールを壁に向かって投げている)

 これは先天的な性格及び幼少期の環境などに加え、コミュニケーションが苦手なことからコミュニケーションを極力避けて問題を先送りにし現在の悲惨な状況に至るという日本国の年金問題のような構図である。

2.自信が無い

 生来の気の小ささに加え、「上手くいかなかったら嫌だ上手くいかなかったら嫌だだって皆にキョドるやつだって思われる」という恐怖心でキョドる。

 

 つまりスキル的なものと精神的なものの両輪が相互にいい感じで悪い方向に連動しキョドりがキョドりを生むキョドリスパイラルがしっかりと構築されている。しっかりと構築するな。

 これらはやる気元気ベッキー!と気持ちを切り替えるだけでコミュニケーションの極み乙女になれるほど簡単な問題ではなく、改善策としてはここから一つずつ積み重ねていくしかないだろう。語学の勉強をするように。フルマラソンを走るトレーニングをするように。

 時間がかかっても、途方に暮れそうでも、そうするしかないなら始めなければならないのである。幸い2016年が始まったところであるし、まずはスキル的な面から手をつけよう。ここまで他人より圧倒的に足りない発声機会を挽回するために、家で一人徹底して音読を行い言語機能のトレーニングをするのだ。そして発言や会話の機会を避けない。人の目を気にしない、失敗を恐れない、なんてことは無理だけど、まずは「キョドるやつと思われたらどうしよう失敗したらどうしよう」という気持ちも抱えながら立ち向かっていく勇気を出さなくてはいけないし、僕達はそれをプリキュアから学んだじゃないか。何のために毎週日曜の朝早起きしてたんだ。

 

 地道でタフな積み重ねが要求される。しかし逃げ通せないなら、自責によるストレスと天秤にかけてもやる意義はあるだろう。女の子は誰でもプリキュアになれるんだよと信じて、少しでもマシになるために。それまで僕は「コミュ障の歌い手です」とインターネット上で言い続けるだろうし、ここまで歌い手成分全く無いな。